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介護の当事者になって・その2〜辛いのは特別扱いされないことじゃなく

前回は初めて電動車椅子に乗ってみて、アスファルト道路の養生の悪さによって、車椅子もあまり乗り心地の良いものではないことを知ったが、今朝はこんなことがあった。

すぐ近くの店まで、ちょっと買い物に出た。近くとはいえ、杖がないとちょっと厳しい。買い物を終え、右手に杖をつきながら、とぼとぼと店を出て歩道を歩いていると、向かいからキャップをかぶって、ショルダーを斜めがけにした男性が急足で歩いてくる。私の進路とかち合ってて、このまままっすぐ歩くとぶつかってしまう。でも、こちらは杖をついて、トボトボとしか歩けない。当然、避けてくれるだろうと思っていたら、その男性は進路を全く変えようともせず、ぴたりと私の前で立ち止まった。無言だったが私にどけと言わんばかりだ。マスクで表情もわからない。私もここでひいてはいけないと、その場を動かなかった。そんな私に対して、その男性は無言のまま、さらに仁王のように威圧感を醸して立ちはだかり、数秒の間ではあったが、睨み合いが続いた(睨んでたわけじゃないですけどね)。

このおじさん、本気で動かないつもりだ。。
腹が立ったが、私の方が譲歩して、杖を右に突き出し、脇に一歩踏み出し、避けた。男性は何の言葉もなく、私が避けた後を、そのまままっすぐ歩いて、私がさっきまでいた店に入って行った。まったく他人を気遣う気配はない。まるで私がいなかったかのように歩いて行った。
そんなに急いでいたわけでもないだろう。それに、一言も発せず、自分の方が直進する権利があるとばかりに、”無言で”威圧感を浴びせかけるその姿には闇を感じざるを得なかった。

この間、彼の頭の中ではどういう思考が渦巻いていたのだろう。
「障害者とか世間のお荷物じゃないか」というような思考であろうか。
それとも、
「女のお前がどけ」だろうか。
「俺は急いでるんだ、そんなにたらたら歩いてられるお前らみたいに楽じゃねえんだよ」だろうか。
嫌な想像が次々と浮かぶ。
無表情で、この世界の自分が知らないもの=どうでもいいもと、視界にも入ってないような態度。やまゆり園で大量殺人を起こした被告の思考の萌芽のようなものが、この男性にもあるのではないかと思えて、少し怖くなった。

もちろん、この男性にも事情があったのかもしれない。
直前にむしゃくしゃすることがあって、気持ちに余裕がなかったとか、急いで買い物して戻らねばならない切迫した理由があったのかもしれない。
でも、あの無言の威圧感はちょっと異常だった。

なぜ彼はこうなってしまったのだろうか。
世間のことになど気を回している余裕はないと開き直っているのだろうか。
そんなに大変な思いをし、その屈辱の持って行き場のない生活をしているのだろうか。それとも、理由などないのだろうか。

最近、満員電車でも、座っている人はみなスマホの画面を見つめ、周囲にどんな人が立っているかなど気にもとめない人が多い。今、自分がいる場所でどのように振る舞うかはどうでもよくて、スマホで繋がっている先だけがその人の住む世界なのかもしれない。見知らぬ人に囲まれた電車の中ではその人はのっぺらぼうだ。

さらに、コロナ禍でのマスクの習慣によって、現実の世界でも、人々は「匿名性の暴力」を平気で露出しはじめてはいないか。
コロナ以前から、長い不景気で殺伐とする世の中で、ぶつかっても無表情で去ってく人とか、他人の存在など透明人間であるかのように振る舞う人が増え始めてはいたが、その傾向はさらに加速しているかに思える。

そういえば、先日、郵便局に行った時のこと。
郵便物の受付の窓口には行列ができていた。みんな立って並んでいる。杖をついて、長く立っているのが辛い私は、その場にしゃがんで、列が進むのを待っていたのだが、閉局時間が近づき、向こうのほうで時間外窓口の人が窓口から出てきたのを見かけ、そこにいた局員に、並んでいるのが大変なので、時間外窓口の方を利用させてもらえないかと頼んでみた。それが、そこの局では時間外窓口も通常窓口と同じ時間に閉まるらしく、出てきた職員は、窓口を閉める準備をしていたとのこと。局員は、だからダメなんですすいませんと言って去って行った。

行列ができるような郵便局には、順番カードが置いてあれば、それをとって離れた椅子に座って待つこともできるが、ここは大きな郵便局なのにそれもない。

でも、まあ並んでる列から離れて特別扱いをお願いしたわけで、それが聞き入れられなかったのはしょうがない。それよりも悲しくなったのは、その後の窓口の女性の対応だった。

いよいよ順番が回ってきて、窓口で郵便物を差し出す時、私は窓口の女性に、「身体がしんどい時くらい、時間外窓口使えないんですかね。」と
ちょっと愚痴気味に呟いた。それに対し、窓口の女性は、面倒なクレーマーに対処するマニュアルでもあるかのように、私の顔を一切見ず、手元の郵便物を一身に見つめ、
「決まりですから。申し訳ありません。」と機械的に言うのみ。
「今はみんな決まり決まりで、融通が効かないところが多いですよね」と私が続けると、彼女はそれに反応してはいけないと体を固めているかのように、私から完全に目を逸らしたまま、さらに抑揚のない機械のような口調で、「決まりなんで申し訳ありません」の言葉を繰り返し、淡々と郵便物の処理を続けた。何を言っても響かない、そんな感じだった。もはや私は彼女にとって立派なクレーマーだ。

立ってるのが辛いから、この先、何とかなりませんかね?と言ってるだけなのに、こちらがクレーマーだと受け取られているかのような相手の対応に、ちょっと悲しくなった。

帰りに、出口にいた、局長さんに、なぜ時間外窓口使えないんですかと聞くと、機械が時間で閉じてしまうからと言っていた。でも、通常窓口は並んでるお客さんが捌けるまでは、閉局時間過ぎても対応してたんだけどね。
何か時間外窓口の機械だけは時間ぴったりに止めねばならない他の理由があるのだろうか?

それに、窓口の女性も、機械が止まるからあっちは使えないんですよ、ご面倒おかけしますとでも説明してくれていれば、私も悲しくはならなかったと思う。何の説明もなく、目を逸らしながら、立板に水の如く、「決まりなんで」と無表情に繰り返されたことが悲しかったのだ。

昨今の日本では、自分に責任が降りかかることを過剰に恐れてか、自らの判断で人に言葉をかけたり、対処することを避ける人が多い。それは一体誰の指示に従ってそうなっているのか。それも、責任というほどの問題があるわけでない場合でも、自分の判断を回避する場面をよく見かける。
何がそんなに怖いのか。
ことさらに「自己責任」を持ち出す世の中がそうさせたのか?

今朝、私のことをガン無視して、道を開けてくれなかった男性も、もしかしたら何かに怯え、その裏返しで、無表情に威圧感をばら撒いては、その怯えから逃れようとしているのだろうか。

現在の日本の閉塞感。それは世間というか、形のない何かを恐れ、自分の思うままに判断して生きられていない息苦しさなのではないか。

もっとざっくばらんでいいのに。もっと適当でいいのに。
そう思ってしまう私は、秩序を乱す面倒な人なのだろうか?


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